補遺

Appendix

10か条のほかに、補足として言っておきたいこととかを、あまり整理せずに羅列したページである。


暇な人間は偉い

第三条により、何かが起こる前に対処しているマネージャだと、プロジェクトは順調に進む。
プロジェクトに問題が発生しても、第四条により既にその対処を考えてあるので、それを実施すればよいだけである。
そのためちゃんとしたマネージャは暇である。傍から見ていると、なんかボサーッとして怠けているように見える。
反対に、ちゃんとしていないマネージャは、次から次へと問題を抱え、その対処のため忙しく立ち回り、あちこちに電話を掛けるなりメールを打つなり、いろんな対策会議に出席したり、お客さんのところに頭を下げに行ったりして、ウォー!と叫んだり、サォー!と叫んだりする。傍から見ていると、なんかすごく働いているように見えるが、これは、ヘマをやらかしたマネージャの姿である。
暇な人間は、尊敬すべきである。
(第ニ条の、何もしないマネージャではない限りにおいて)


組織に疎結合を持ち込む

ソフトウェアの設計開発を能率よく、保守性を確保しながら、行おうとするなら、疎結合(Loose Coupling)は欠かせない。
ところで、疎結合とは、結合度に着目して名前をつけてあるので疎結合というが、別の切り口に着目すると別の名前になる、と思っている。
私はこの命名が出来ていないから、ズバッと名前をいえないので、切り口で説明する。その切り口とは「事情」である。
「自分の事情は、相手に漏らさない。相手の事情なんか知ったこっちゃない」
これである。まあ全く漏らさないと、疎結合でなくて無結合になってしまうから、ちょっとは考慮するのだが、この考慮が少なければ少ないほどいい。
組織にこれを応用すると、組織は能率が良くなる。
だがマネージャのなかには、
「連絡を密にとって、うまく連携して行きましょう」
といってしまう人がいる。または人員を募集するときに
「コミュニケーション能力のある方」
と要求してしまう傾向がある。
これらは、密結合になってしまった組織をほぐすことが出来ないマネージャのFaultを、
メンバに押し付けてしまっている、と考えられないだろうか。
Meetingは、検討とか討論とかを通じて、方針の決定、のようなものをするなら有用だ。
しかし連携するための連絡会議の開催とか、あるいはMeetingがほとんど連絡事項やら意識合わせで占められているなど、
コミュニケーションに多くのコストを払っている、と(第五条に従い)読み取ったなら、
組織の疎結合化に取り組む余地はないか、検討したい。


人でなくて物事を追求する

第ニ条後半のフィードバックループは、違う言い方をすると、「改善」である。
英語にもなっているようなので、「カイゼン」とカタカナ書きする場合もある。
改善をするには、「何が」悪かったのかを追求して、対策をする。
ところが改善が板についていない組織では、「誰が」悪かったのかを追求してしまいがちだ。
あるいは、改善のSTEP1は「何が」悪いかの認識なので、「ここが悪い」とズバッと言えなくてはならない。
しかし改善が板についていない組織では、「ここが悪い」と言われた担当者が「あんたが悪い」と言われたがごとく受け取り、
険悪になって物事がうまく進まない場合がある。
もしくはそうなることを恐れて「ここが悪い」となかなか言えず、改善がちっとも進まない事態となる。
他の業界に目を向けてみよう。航空機と鉄道の業界では、事故が起きたとき、徹底的に「何が」悪かったを解明し、
悪かったところに対して、具体的に対策をとっている。
たとえば赤信号を見落として事故ったら、見落としたときにブレーキが掛かるATSを装備する、など。
道路交通業界では、赤信号を見落としたら、「運転手が悪い」となり、
だろう運転なんでダメだ、もっと注意せよ、とか何とか、徹底的に講習会で叩き込まれる。
この対応の違いが、年間数千人の交通事故死者を出している業界と、そうでない航空機・鉄道の業界の違いとなっているのではないか。
というわけで、人は追及してもしょうがない。「誰が」でなくて「何が」を追求する。


責任者を任命する

上とちょっと反対のような話である。
マネージャが複数のメンバ共同で行うべき何かを指示したとき、それがうまく実施されない場合がある。
そのような時は、メンバがお見合いをしてしまい、率先して実施できない雰囲気となっているのかもしれない。
このような時は(あるいはそうならないようにあらかじめ)、複数のメンバに何かを指示したとき、メンバから一人、責任者を任命しておく。
そしてそのメンバの責任において遂行するよう指示すると、その業務の芯ができるので、お見合いがなく、さくっとコトが運ぶ、場合もある。
何しろうまく行かなかった場合は「あんたが悪い」と言われかねないということで、その責任者が懸命になるためもある。


ニハチの法則

ニハチの法則は2割8割の法則とか、正式にはパレートの法則という。
世はなべて三分の一、という言葉が写真の方面にはあるようだが、現実はもうちょっとアンバランスで、五分の一になっているという話。
コンビニの売れ筋商品は弁当とかサンドイッチとかの2割しかなく、それで8割の売り上げをたたき出す。残りのガムテープだとかシャーペンの芯だとか8割の商品は、全部まとめて2割の売り上げにしか貢献していない。
WordやExcelでしょっちゅう使う機能は2割しかなく、それだけで仕事の8割はこなせる。
会社でバリバリ仕事をしているのは2割の人間で、この人たちだけで8割の業務をこなしている。
このニハチの法則を、スケジュールに応用する。
最初の2日間で8割がた目鼻がつき、残りの8日間で2割の詰めをじっくり行う。これがスケジュールに織り込まれていないと、進捗報告で、「80%終わりました」「90%です」「95%です」「97%です」「98%です」いったいいつになったら終わるんだーという事態になり、進捗遅れを早期発見できなくなってしまう。
スケジュールを立てるときは、リニアでなくて、簡単なものを前倒しで進捗させ、残りの厄介なものをじっくり取り組めるようにする。
あるいはニハチの法則を、コストダウンに応用する。
仕様を決めるとき、至れり尽くせりの仕様を決めてしまうと、とてもコストが掛かる。そこで前述WordやExcelの2割の機能のことを思い出し、めったに使わないような機能をあえてシステム化せずに済ませば、コストを2割に抑えつつ8割を実現するようなシステムが出来上がる。


なぜなぜ分析

第二条の原因をつかむというアクション、第五条のマネジメントとは原因の掘り下げ、これに関連するものとして、なぜなぜ分析がある。トヨタ自動車がやっているそうだ。
なぜ、そのようなことが起こったのか? これこれこうだからだ。
じゃあなぜこうなっているのか? それはそれそれそうなっているからだ。
じゃあなぜそうなっているのか? それはあーなっているから。
じゃあなぜあーなっているのか!?
などというように、なぜを5回繰り返すと、表面的な原因でなくて、根本原因にたどり着く。
そうすれば根本解決ができる。
英語では、5 Whysという。


下りのエスカレーター

我々は下りのエスカレータに乗っているようなものである。
だまって突っ立っていると、どんどん下に行ってしまう。
そこでこのエスカレータを逆方向に登っていかないといけない。
下りのエスカレータを人並みの速度で登っていくと、プラスマイナスゼロで、現在の高度を保てる。
人より速度を上げて登っていくと、だんだん高みに行くことになる。
だから、とにかく前進のアクションをせねばならない。
第二条の「何もしない」あるいは第三条「まだなにもいわれていないから」などはエスカレータに突っ立っていることになる。
これと同じことを、ウォルト・ディスニーが言っている。曰く「現状維持では後退するばかりである」


出来て当たり前。出来た上で、を考える

マネージャの中には、変化を嫌って(=「何もしない」を愛して)、
何らかの改善提案がメンバから持ち上がったときに、
「今までの方法では出来ないのか」「出来るのなら今までの方法でよいではないか」
として却下してしまうタイプがいる。
ポイントは、出来るか出来ないか、ではない。
出来た上で、より効率的な・より優れた・よりコストの低い・より精度の高い・より顧客満足度を向上させるような、そういう手は何か、と考えなくてはならない。

ところで、このような新機軸を採用すると、その刹那は、今までより生産性が一旦下がるのが常である。
しかしマネージャはこの一旦下がる生産性を、受けて立たないといけない。そうしないと飛躍は望めない。
(一旦下がるなど成長曲線に関するお話は、参考図書に挙げた2冊目「スーパーエンジニアへの道」G.M.ワインバーグ の第4章に書かれている)


HowToにこだわるのでなくてWhatにこだわる

会議での発言を良く聞いていると、「こうする」「そうする」「ああする」という、HowToでモノを語る人がいる。
最初にまず、目的とか達成すべきゴールとか、Whatが語られなくてはならない。
それが固まった後で、ではどう実現していこうか、というHowToが語られるならよい。
HowToが好きな人は、たぶん頭の中に手順が浮かび上がるのだろう、WhatそっちのけでHowToを語ってしまい、後になってから、そもそも論として、目的やゴールが問いただされてしまう場合がある。
マネージャは船長みたいなもので、あの水平線の上にかすかに見えるあの島に行くのだー!と指し示すべきである。つまり第四条に従い、未来にたどり着くべきゴールを示す。そしてそこへの段取りを考える。
どこに行くかをそっちのけで、とにかく帆を揚げろ、オールをこげ、梶を切れ、と指示しているばかりでは、マネージャではない。
学校の校則は、その目的や理由を考えず規則ありきからSTARTし、「規則で決まっているから」といってしまいがちだ。これもHowToにこだわる悪しき風習である。


「~すればいい」は禁句

1個上のHowToと関連する。
マネージャは第二条に従い、対策をとる。このとき、「~すればいい」という発言した場合、気をつけないといけない。
文字通り「~すればいい」訳ではないのに、なんか解決の雰囲気のある「~すればいい」という言葉にだまされて、判断を誤るパターンが2つある。

1つめは、「~すればいい」の本当の意味が実は「(XXXであるのに)~しなくちゃならない」である場合。
「月にロケットを打ち上げればいい」 実は大変な技術力と、膨大なコストが掛かるのに。
「甲子園で優勝すればいい」 実は大変な練習量で実力を磨き、トーナメントで全ての試合に勝たなくてはならないのに。
第七条のメリットデメリット勘案が出来ていれば、このタイプの「~すればいい」発言は出ない。

2つめは、「~すればいい」の本当の意味が実は「~しただけでは済まない」である場合。
「モノを売ればいい」 それだけでなく売った後のアフターサービスや、たゆまぬ商品改良改善が必要である。
「ケータイを買ってくればいい」 それだけでなくその後の料金支払いと、2年縛りのタイミングを忘れないことが必要である。
第四条の段取りが見えていれば、このタイプの「~すればいい」発言は出ない。

「~すればいい」ばかりでなく、10か条ではいくつか禁句を書いた。誰かが禁句を口にしたとき、私は頭の中でベルが鳴るようになっている。
その際は、待てヤバイぞヤバイぞ、と考え直すようにしている。


もう一歩踏み込め

日本では大手携帯キャリアは3社ある。それぞれ通話が出来て、メールが使えて、ネットが見れる。その上でプランがどうした、XXに限り無料とか何とかホーダイとか、いうような違いがあるだけで、実際のところ、似たり寄ったりである。
そこでその小さな違いをよく見極めて点を付け、51対49でこっちにしよう、と決意する。点差はわずかだが、携帯を分割するわけにはいかないため、売り上げ的には100対0になる。
これをマネジメントにしろエンジニアリングにしろ応用する。
「まあ、こんなもんだろう」「今日のところはこんなもんでしょう」みたいな瞬間がやってきたら、そこからもう一歩、踏み込んで、更に磨きを掛ける。プラスアルファを足す。
そうすると、そのわずかの差により、コンペティターに打ち勝ち、100対0 の勝利を手に出来る。


ポジションが人を磨く

技術力を認められて昇進すると、マネジメントの色彩を帯びたポジションにだんだんとついていくことになる。
そのとき、「あー、おいらにゃマネジメントマインドなんかないし、管理職なんか向いていないのに」と思うかもしれない。
それでも年月を経て、かつ向上心がある場合、そのマネジメントのポジションによって自身が磨かれ、マネージャらしくなっていく。
だから、あまりげんなりせずに、立ち向かっていこう。
ただし、向上心がないと、いたずらに年月だけを経てしまい、一切磨かれず、ピーターの法則が適用となってしまう。